マッスル北村さん、ご存じでしょうか。なかやまきんに君、武井壮など、「筋肉タレント」という枠に入る芸能人が多々いますが、マッスル北村さんもその一人でした。そのストイックさが有名な人ですが、ストイックが故に39歳という若さでお亡くなりになりました。今回はその死因である「極度のダイエット」についても併せて書いていきたいと思います。
究極のダイエットを実施した芸能人は?
究極のダイエットとなる糖質制限ダイエットでありますが、それに手を出してしまった芸能人が一時期糖質制限ダイエットに魅了されてハマってしまうと言う現象が起きました。しかし、諸刃の剣であります糖質制限ダイエットですが、それによって命を落としてしまう芸能人の方も居られました。
ではなぜ、極端な糖質制限ダイエットで命を落としてしまうのでしょうか?
代表的な例としましては、筋肉番組の火付け役となりました。マッスル北村さんですが、ストイックな程自分自身を追い込む方で、本当は大学に行かずに競輪選手になりたかったと言う形で、高校生の頃に無作為に決めた200km地点の場所へ、自転車で全速力で向かい休憩を一切挟むことなく、16時間ぶっ続けで走った後に、腐った牛乳を一気飲みして意識がなくなったと言う、とにかく自分自身を追い込むのが大好きな方でした。
マッスル北村さんのスゴイ話し
一度は競輪選手を目指すも、ストイックなまでに自分自身でぶったおれるまでの究極の訓練を実施しましたが、実際の競輪選手のフィールドを見て「あんな高度な技術は僕にはできない」と言う形で、断念し、プロボクサーを目指そうと考えるも、視力が0.01しかないし、「相手が気の毒」と言う理由で、殴られる痛さを相手に知って欲しくないと言う状況でこちらも断念し、そこからストイックに大学入試に打ち込む形となります。
そこでもストイックさを発揮する形で、「この本を今日覚えるまでは絶対に家に帰らない」と言う形で、本を覚えるまでに帰らないと宣言する姿勢が非常にスゴイと思えるものでありました。
マッスル北村さんとのボディビルとの出会い
マッスル北村さんが現役で大学進学をかけて合格できたのは、防衛医科大学校と早稲田大学理工学部に合格しましたが、それでも不本意な結果だったので入学せず浪人の道を選び、二回浪人した末に東京大学へ入学する形で、僕には時間がないと言うのが口癖で、常軌を逸した超絶努力で東大に合格した、努力の人でありました。
東大に入学後は、東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部でボディビルと出会いのめり込む形となりました。ここで大会に中途半端な形で出場するも、惨敗に終わってしまったことから落胆をしますが、そこから激しい怒りが込み上げるような形で、更にのめり込むような形でボディビルのトレーニングを開始します。
マッスル北村さんによる無理な減量
マッスル北村さんが始めた脅威のトレーニング方法としましては、まずは、50kgの体重を増やすために、家族と一緒にとる「普通の食事」以外に、卵を20-30個、牛乳を2-3リットル、さらに鯖の缶詰を3缶、加えてプロテインの粉末300gを毎日摂取した。
また、このような食事を消化吸収するために、消化剤を大量に摂取した等、常軌を逸する方法で、50kg→96kgとなり、晴れて優勝しますが、またここから自分を追い込むためのトレーニングとしまして、電車を乗り継いで山奥まで行き、そこから自宅までの100kmマラソンに挑戦する。途中で足の爪がはがれ、シューズの中が血で溢れるほどだったが、気絶することなく計120kmを15時間かけて走り抜き、減量を成功させたり等、常人では到底不可能な内容をやってのける形でありました。
最後は、脂肪を極限まで落とすために20kgの急な減量を行った結果、異常な低血糖状態となり、急性心不全を引き起こし死亡した。39歳没でした。このことから、やはり、急激な糖質制限は体重と引き換えに命を落としてしまうことになる諸刃の剣であると改めて思いました。
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