かつていわっちと呼ばれ愛されたカリスマ社長、天才プログラマーの異名を持ちゲーム界の救世主岩田聡さん。
彼の活躍が無かったら今のようなゲームの世界は存在しなかったでしょう。
任天堂での功績はもちろんのこと、HAL研究所でも素晴らしい功績を残しました。今回は彼が開発し携わった名作のみんなの声を見ていきましょう。
一作目 ピンボール
1984年2月2日にファミコンで発売されました。この時岩田聡社長はプログラマーとして開発に携わったそうです。
気分転換に良いという声が多かったです。
ピンボールに必要な要素がしっかり入っていて楽しめました。スコアを稼ぐのに時間を忘れて集中した人もいたそうです。
ボーナスステージに出てくるマリオとレディが面白いという声もありました。操作性については難しいとの声が多かったですね。
とはいえ、ファミコン初期のソフトにしては上出来みたいです。
二作目 ゴルフ
ファミコン初のゴルフゲームです。1984年5月1日に発売されました。
本作も岩田聡社長がコードを書いたそうですね。スポーツゲームのジャンルで世界2位の売上本数を誇るらしいです。
現在発売されているゴルフゲームのほとんどが本作のシステムを採用しているとのこと。ゴルフゲームの礎を築いたタイトルと言っても過言ではないでしょう。
爽快感を感じると言う人が多かったようです。操作が難しい分ホールインワンを決めた時すごく気持ちいいとの声もありました。
プロゴルファー気分になった人や効果音だけのシンプルさに哀愁を感じた人もいましたね。
ファミコン黎明記を支えた名作となったみたいですね。
三作目 F1レース
1984年11月2日に発売されたファミコン初のレースゲームです。
敵の車を避けながら制限時間内にコースを2周するというシンプルな内容ですが難しかったそうです。コースが狭い上に敵の車の配置が複雑だったみたいですね。
本作にはターボと呼ばれる裏技が存在するのですが発動するのが難しく決まった時の達成感が凄く嬉しいと言う人が多かったです。
ターボが決まった事を学校で自慢したら嘘つき呼ばわりされた人もいたらしいです。それくらい決めるのが難しかったのですね。
背景が変わる時が楽しい人や敵の車にぶつかってクラッシュする時の演出が面白いと言う人もいましたね。
難しい事が出来た時の達成感を味あわせてくれるこのゲーム、開発に携わった岩田聡社長のゲーマー魂が伝わって来ます。
四作目 ファミコングランプリ2 3Dホットラリー
1988年4月14日にファミコンディスクシステムで発売されました。
この作品で岩田聡社長と宮本茂さんが初めて一緒に仕事をしたそうです。
ステージの出来栄えやBGMが最高と言う声が多かったです。高速道路を走る度に本作のBGMが頭の中で流れ出す人もいたみたいです。
また、当時専用の3Dメガネを使うと映像が飛び出すことで話題になったらしいです。この3Dメガネ欲しさに買ったと言う人もいました。
3DSでの配信を望んでいた人もいましたね。本作ではスコアやタイムなどで全国のプレイヤーと競い合うことが出来ました。
今のようなリアルタイムでの対戦ではなかったものの上位を目指して競い合った思い出の詰まったゲームという人もたくさんいました。今でもディスクを大切に保管しているそうです。
ファミコンディスクシステムとは・・・
1986年2月21日にファミコンの周辺機器として登場しました。
クイックディスクを基にしたディスクを採用し話題を呼んだそうです。
ROMカセットを上回る大容量とデータの書き込み・セーブが出来るのが特徴です。今では当たり前ですが当時は大きな革命だったらしいです。
五作目 バルーンファイト
岩田聡社長の代表作です。1984年11月にアーケード版が稼動を開始しました。1985年1月22日にはファミコン版が発売されました。
背中に風船を装着した主人公を操作して敵を全員倒せばクリアとなります。
敵の風船を割ってすぐに体当たりしないと倒せません。独特な浮遊感の中自由自在に動かせた時が楽しいとの声がありました。動かす楽しさを教えてくれたゲームとも言われていましたね。
本作では、2Pプレイも出来ました。
その時、相手の風船を割ってしまってそのまま風船の割りあいに発展した人も多かったみたいです。
協力プレイが対戦になるという面白い展開ですね。対戦プレイを楽しんだ人もいたみたいです。
ファミコン版にはバルーントリップというモードがあります。ハラハラしながら熱中した人が多かったみたいです。水面の近くにいる時突然魚に食べられてビックリした人も多かったですね。
ちなみに、魚がプレイヤーに噛み付くシステムは岩田聡社長が作ったそうです。
まとめ
出典:withnews
岩田聡社長の開発したゲームはみんなを熱中させ楽しませて来たことが改めてわかりました。
どれもファミコン初期を支えた名作と言われている。本当にこの人はすごいです。
しかし、活躍はこれだけじゃありません。
筆者の青春時代を支えてくれたDSにWiiそして3DSを生み出し世に広めてくれました。
ゲームの価値観を変えてくれた人でもあります。
価値観を変えたことに否定的な人もいますが筆者は岩田聡社長の決断は正解だったと考えています。
もしあの時岩田聡社長が決断に踏み込まなかったら今でもゲームは悪い物という認識が強かったかもしれません。
彼のおかげでゲームの素晴らしさが伝わったと信じています。ゲーム好きの人にもゲームに興味が無かった人にも。
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